「フロンティア奥地に毛皮を求めてさまよい歩き、気ままに暮らしていた男たちのことを「山の男(マウンテン・マン)」と呼ぶ。かれらはインディアンと直接に取引をしたり、自らも罠を仕掛けてビーバーなどを獲ったり、探検隊の道案内などをして自由に山野を駆けまわる生活をしていた。
彼らは二、三頭の馬かラバをつれて山岳地帯に入った。そして川のほとりや流れに沿ってビーバーを探し、罠を仕掛けた。春、秋のそれぞれ三ヵ月間をそのようにしてすごし、ときには1000マイル以上も川に沿って険しい道を分け入った。
夏になると、のちに述べる交易所に戻ってきて、毛皮と金、あるいは品物とを物々交換し、仲間に会い酒を飲み、賭をし、また無一文になって山に帰るのが常であった。
かれらが山中からの旅を終えて姿を現わす交易所は「ランデブー」(rendezvous)と呼ばれた。
ランデブーはこの山の男たちだけの場所ではなく、西部開拓史上では、人びとが物々交換のために集まる場所でもあった。夏になると、インディアンや白人の毛皮猟師が毛皮をぶら下げて山から出てきて、食糧、武器、ウイスキーなどと交換した。インディアンの女たちは鏡、ガラス玉、リボンなどがお目当ての品である。年一回開かれるこのランデブーは、西部の年中行事のなかでも最大の社交的行事だったと言えるだろう」
(『アメリカ西部開拓博物誌』 鶴谷壽(PMC出版)より)
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